私の息子は3歳の頃、全身麻酔で2回手術をしています。
病名は「左精巣捻転(ねんてん)」。
1回目は左の睾丸(精巣)の摘出、2回目は右の睾丸(精巣)が捻転する(ねじれる)のを防ぐために固定をする手術でした。
同じ病気でも、人によって症状は様々だと思いますが、我が家の場合はこんなだった、こんなことを考えた、という体験談が少しでもどなたかの役に立てばと思い、紹介します。
生まれた時から気づいていた違和感
息子は生まれた時から陰嚢(精巣をおさめる袋)には右側の睾丸(精巣)しかなく、左側は鼠径(そけい=足の付け根)にアーモンドぐらいのポコッとしたものが、手で触って確認できるような感じだった。
産婦人科の主治医には「男の子はこんな感じで生まれてくる子も多いし、自然と2歳ぐらいまでの間に袋におさまるから」と言われていた。
それでも風邪などで小児科へ息子を連れて行くたびに「先生、左の睾丸は大丈夫ですか?袋に降りていますか?」と確認していた。
2歳になった頃、小児科でいつもと同じように確認すると「ほらお母さん、降りてるよ。触って確認してみて」と言われ、自分の手で触ってみた。
陰嚢の中に睾丸が2つ触れ、安心したことを覚えている。
「ママ、おなか痛い」からはじまった
3歳になった冬のある日、息子が「ママ、おなかが痛い」と言う。
冷えたのかな、風邪かなと小児科へ連れて行くと、胃腸炎です、と整腸剤を処方してもらった。
自宅では冷やさないようにとコタツでおなかを擦り、おかゆを食べさせて寝かせた。
翌朝。
寝室から泣きじゃくる息子の声が聞こえた。
「ママ、おなか痛くて起きられへん」
慌ててそばに行きおなかを見ると、左側の腹部が赤ちゃんの頭ぐらいに腫れ上がっている。
私は息が止まりそうになり、前日に受診した小児科へ電話をした。
症状を説明すると「うちでは診られないので○○病院へ行って下さい」と言われ、急いで息子を車に乗せ向かった。
病院の受付では、昨日からの症状と、かかりつけの小児科に受診するように言われたことを伝えると、泌尿器科へまわされた。
突然始まった緊急手術
総合病院は、紹介状がないと初診は物凄く待つ。
しかし、その時は初診にもかかわらず、緊急性を考慮してすぐに診てもらえた。
診察を終えた医師から
「お母さん、左の睾丸(精巣)が回転して、睾丸へ行く血管がねじれて血液が流れていません。壊死している状態です。
前日からの腹痛を考えると、症状が出てから6~8時間以内に手術が必要だったんですが、タイムリミットを超えています。
もしかしたら、腫瘍による血流障害の可能性も考えられます。
手術してみないとわかりませんが、もし腫瘍が原因で、悪性だった場合、覚悟していただかないといけないこともあるかもしれません。
いずれにしても緊急手術になりますので、すぐに準備させてもらいます」
と言われ、全身の力が抜けた。
悲しすぎて涙も出なかった。
何でちゃんと産んであげられなかったんだろう、陰嚢の中に2つ触れたと安心したのは、私の単なる思い込みだったのか、もっともっと敏感に意識し続けて、病院へ連れて行けばよかったと繰り返し自分を責めた。
心底母親失格だと思った。
術後の様子
幸いなことに、手術は無事に成功した。
手術後、病室に戻った息子は、しばらくはボーっとしていたが、完全に目を覚ますと全身麻酔後の覚醒時興奮になり、ベッドの上で暴れた。
私は自分が情けなく、泣きながら息子を抱きしめ「乗り切るしかない」「頑張るしかない」と自分に言い聞かせた。
息子は時間の経過と共に落ち着いた。
術後1日目には食事の許可がおりた。
1食目はおかゆだったが、息子は一口食べてから不満そうに「いらん」と言った。
病院食はカロリー計算がされ、塩分も上限が決まっていて味気なかったのだろう。
手術を頑張った息子に「何が食べたいの?」と聞くと、大きな声ではっきり「プリン」と言う。
主治医へ相談するとOKが出たので、そのまま病院内のコンビニへ買いに行った。
息子の笑顔を想像し病室に戻り、プリンを見せると、今度は突然大泣きした。
「ママ、こんなんじゃプリンが食べられへん」そう言って右手を差し出す。
息子は術後からずっと右手の甲に点滴をしていて、針がずれて点滴が漏れないようにとシーネ固定(添え木のようなもの)をした上から包帯で覆い、自由に使えなかったのだ。
私は「気づけなくてごめん」とまた自分を責めた。
術後2日目で点滴がとれた。
幸運な事に、術後の痛みにも悩まされず、行動制限はあるもののベッドの上で元気よく過ごしていた。
ただ、手術をした左の鼠径には5センチの傷跡が残り、見るたびに心が痛くなった。
緊急手術から1週間で退院となり、2週間の自宅療養を経て、保育園へも復帰できた。
主治医からは、「ジャングルジムに上ったりする以外は普通に生活して良いですよ」と言われたので、担任の先生にも伝えておいた。
保育園では特に何事もなく過ごし、卒園を迎えることができた。
小学校での生活
術後の経過は順調で、小学校入学後も再発の兆しや継続的に通院しなければいけない症状もなく、1カ月に一度の定期通院だけで過ごせた。
1カ月に1度の通院というのも、主治医から言われたのではなく、母親として失格だと自分を責めた日から、私が息子の為にできることを探した結果だった。
息子の為と言ったが、自分自身への戒め、自己満足とも言えるかもしれない。
それでも受診して、主治医から「お母さん、大丈夫。順調ですよ」と聞き、安心に繋げていたかった。
そうしていないと、自分の生きている価値も解らず、息子と向き合うことすら辛かった。
その気持ちは誰にも言えず、自分自身で生活に影響が出ないようにと必死で心のコントロールをしていた。
息子が小学生になって新しい友達が増えると、私の心配は増えた。
「トイレに行ってズボンを下ろした時、傷が見えたら友達はどんな反応を息子にぶつけるんだろうか」
「水泳の授業が始まって水着に着替える時、友達の目に触れたら、なにこれ?って言われるんだろうか」
まだ、何も現実になっていないのに、想像だけで息が詰まりそうだった。
担任の先生にはすぐに伝えた。
「先生、傷の事で友達に言われていたら助けてください。少しでも気になることがあったら、時間を気にせず携帯に電話をください」
私は必死だった。
先生からしたら、何十人といる児童の中の1人で、息子ひとりにばかり目を配っていられない。
しかし見聞きするいじめの情報は、些細なきっかけが始まりであることが多い。
「息子がその対象になってしまったらどうしよう」という気持ちを抑えられなかった。
結果的には私の心配をよそに、大きなトラブルもなく息子は進級し、5年生を迎えた。
心配した林間学校と修学旅行
5年生と言えば「林間学校」がある。
1泊2日の宿泊で、クラス単位、またはグループ班でのお風呂の時間がある。
多感な時期に差し掛かった年齢の子達は、みんなでお風呂に入れることを楽しい時間とだけ思えるのか。
裸になる恥じらいも芽生えて、友達の体の成長が気になり、ジロジロ見たりしないのか。
そんな事ばかり考えていた。
そこで林間学校の説明会が終わった後に、担任の先生に相談してみた。
担任は男性の先生で、普段から生徒に寄り添う印象だった。
その先生が「本人がその時にどうしたいか、気持ちを聞いて確認して対応します」と言ってくださったことで、心のひっかかりがスーッととれる様だった。
それでも林間学校の当日と翌日の2日間は仕事を休み、何かあれば迎えに行くぐらいの気持ちで自宅待機していた。
今思えば、やりすぎだったと思う。
しかし自己満足かもしれないが、私がそうしたかった。
林間学校から帰ってきた息子は、笑顔で駆け寄ってきて「雨はすごかったけど、みんなとめっちゃ喋れて楽しかったで。寝られへんかったもん」と思い出話をしてくれた。
その話に私は救われるようだった。
それでも翌年の修学旅行の時期、私の気持ちはふりだしに戻り、同じことで悩んだ。
少し進歩したのは「去年に比べたら成長してるし、傷跡が見えないぐらい毛が生えてくれているかも」と思えたこと。
しかし一方で「睾丸を1つ取ったという事は、男性ホルモンの量も少ない。周りの子より少ない分、陰毛の成長が周りの子より遅いかもしれない」と新たな悩みが沸き上がっていた。
当時、私の父が同居していたので、お風呂に一緒に入って、どれくらい毛が生えているのか確認してもらったら、傷が隠れるほどの陰毛は生えていなかった。
結局前年同様、”先生頼み”が実施されたが、幸いなことにやはり杞憂に終わった。
再発…?
中学1年生になったある日。
息子が「おなか痛い」と言い出した。
私にはトラウマになっている、もう一生聞きたくない、息が止まりそうになる言葉だ。
病院へ飛んで行き、主治医の診察を受けた。
「先生、またおなか痛いって言ってるんです、残ってる方の睾丸も固定したし、まだ何かあるんですか。定期的に受診もしてるのに、なんで…」と矢継ぎ早に訴えた。
すぐに超音波エコーで確認したところ、右の(固定した方の)睾丸を取り巻く血管に小さい静脈瘤(りゅう)が出来ていることがわかった。
しかしその静脈瘤はとても小さいもので、治療の必要はなく、経過観察でよいというものだった。
診察が終わった後、息子に「おなか痛いってどの程度やったん?」と聞くと、「なんか痛い気がするぐらい。ズキズキっていうか、チクチクっていうか、何となくそんな感じやった」と言う。
すぐに治療が必要かもしれないと必死になって、息子の話をろくに聞かずに病院へ向かったのだ。
私には「様子をみる」と言う選択肢はなかった。
これから先のこと
そんな息子が今は17歳の高校3年生。将来の夢は薬剤師になることだそう。
「おかん、俺、薬剤師になりたいねん。3歳の時に手術したやん。その時にいっぱいお世話になったから恩返しがしたいなぁと思って…」
それが理由だと言う。
すごい、私が17歳だった頃に、こんなに明確な理由を持って夢を描けていただろうか。
ちなみに私の現職は看護師。
息子になぜ看護師ではなく薬剤師を選んだのかきいてみると「おかんが、愚痴ばっかり家で言ってるから」だそう…。
気づかないうちに、息子が描く将来の夢の選択肢を愚痴の数々で消してしまっていたみたいで申し訳ない。
そんな息子が、今後どう進んで行くのかはわからないが、20歳頃に一度、男性ホルモンの量を調べに行こうと思っていた。
普通の男性よりもホルモン量が少なく、不妊治療が必要になる可能性もあるからだ。
しかし今では、大人になった息子が「別に行かなくていい」と言えば、自分のタイミングでよいと思っている。
私に合わせる必要はない。もう、私の「やりすぎ」「自己満足」で介入してはいけない。
結婚せずに生涯独身でも構わないし、結婚して子どもを作らない選択肢を取ったとしても受け止めよう。
ホルモン異常で不妊治療が必要な時が来ても、息子の決断を見守ろう。
なぜなら、息子は前向きに進んでいるし、その姿はとても頼もしい。
今でもふとした瞬間に、私は色々と不安になってしまいそうになるが、成長した息子を見ていると、彼の応援団長として見守っていくことが、母親としての自分の役割だと思うからだ。
私は、これからも「おなか痛い」というフレーズさえ息子の口から出なければそれで良い。
同じような境遇のお母さん、ご家族へ
とにかく頑張りすぎないでください。
「自分がしっかりしないと」「自分がやらなければ」「母親だから」と自分を奮い立たせ、頑張りすぎると、時に目の前で病気と闘っている子どもの姿が見えなくなり、振り返ると「あの時、ああすれば良かった」と後悔が残る気がします。
頑張りすぎないで心に余裕を持つというのは、なかなかその場では難しいかもしれませんが、大事だと思うので、是非無理せず、頑張りすぎないで、そう思います。
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