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起立性調節障害発症から6年 ODっ子体験談~②登校したりしなかったりの小中学時代

2023/08/26

  • 体験談

小学校高学年と中学生の10%程度が、朝起きられず、頭痛や倦怠感などに常に襲われる起立性調節障害に悩まされていると言われています。

「子どもは学校へ行くもの」という思い込みが、登校できなくなった親子を苦しめます。我が家のODっ娘も、学校は好きではありませんでしたが、行かないと将来困ると思って何とか登校しようと努力していました。

日本では、学校に行かないととたんに子どもには居場所がなくなります。体が思い通りにならなくても子どもたちが心穏やかに過ごせれば、この病気はもう少し早く治るんじゃないかなぁと思いながら、私は娘と闘病しました。

 

小学校6年生頃からODの症状

我が家の娘は幼い頃から寝付きと寝起きが悪く、肩こり・頭痛持ちでした。小6の秋頃からそれらの症状が強くなり、あまり登校できなくなりました。

卒業式の練習で、教員がマイクで怒鳴るのがすごく嫌だと言って、悲壮な顔つきをしていました。音に敏感な娘には、かなり強いストレスだったようです。

卒業式は午後の校長室でも行ってくれる

という訳で、卒業式の練習にはほとんど出られなかった娘ですが、本番はとどこおりなく過ぎました。手順だけ聞いておけば、本番では前の人のマネをすればいいからです。

ちなみに午前中の卒業式に出られない、出たくない児童生徒も最近は少なくないので、小中学校では、午後から校長室や各教室でミニ卒業式をしてくれたり、そこに保護者が代わりに出席することもできたりするようです。

病名に行きつくのに時間がかかりやすい

「起立性調節障害」という病名は、一般的にも少しずつ認知され始めていますが、朝起きられず体調不良を訴える症状=この病気だとすぐに思いつく大人は、それほど多くないでしょう。

小児科や内科から精神科へまわされ、うつ病の薬を処方されるケースも少なくありません。抗うつ剤は起立性調節障害を悪化させることがあるそうで、正しい診断への遠回りになるという話も聞きます。

専門医の予約はどこも満員

うちの場合は、たまたま知り合いのお子さんが、似たような症状で診断された話を聞いていたので、娘は起立性調節障害ではないかとピンと来ました。

すぐに診てもらえる病院を探しましたが、専門医はみな予約がいっぱいでした。中学校入学前になんとしても診断を受け、学校に理解を求める情報を準備したかったので、私は平日の昼間に娘が寝ている横で、パソコンをたたいては電話で問い合わせる毎日でした。

ぎりぎり春休みに小児科の専門医の受診がかない、まだ断定はできないと言われたものの、医師は学校に提出する資料をくれました。

中学校生活のプレッシャー

新しい環境では最初は通える

中学校入学当初は、小学校とは違っていろいろと自己責任になり、人間関係も広がったからか心機一転、時々休みながらも楽しく通っていました。

しかし、毎日6キロ以上の重い荷物を背負って出かけ、たびたびのテスト、部活動、1年生から課せられる受験へのプレッシャー、塾、習い事と忙しい日々は、彼女には荷が重かったようです。だんだんと元気がなくなり、中1の11月中旬、期末テストの前日からついに全く起きられなくなりました。

中間や期末テストが受けられなかったらどうなる?

2学期末のテスト当日の朝、たたこうがゆすろうが眠ったまま反応すらしない娘に困り果て、私は学校に電話しました。

「先生、期末テストを受けなかったらどうなるんでしょう?」
「どうもなりませんよ、お母さん」

そう、 記録が0点になるだけ。中学校は義務教育だから、テストが0点でも出席日数が0日でも、進級・卒業できるということを私は再認識しました。もちろん受験時の内申書には影響しますが、ここで焦っても仕方がない。私は少し開き直ることができたのでした。

 

病状は悪化して「入院適用」に

こんこんと眠り続ける「眠り姫」

それからしばらくは体調は悪化する一方で、朝は起きられず、夕方頃やっと起きてくる。これでは夜は眠れるはずがないと思っても、意外と早く0時や1時には寝ていました。

私は、朝カーテンを開け、ラジオや家事などの音で昼間を演出しました。2〜3時間ごとに声をかけても反応は薄く、「頭が痛い」と返事をしたことも、後で聞くと全く覚えていません。

ひどい時で1日20時間続けて寝ていました。印象としては脳がとても疲れていて納得するまで眠る、という感じです。1日1食で体重もどんどん減り、娘は私としか会話をしない日々が続きました。外出も全くしないので、彼女の靴は下駄箱の中でした。

入院のベッドがなかなか空かない

夕方、仕事から帰ってもまだ白い顔で寝ていることがあるので、帰宅時に玄関の外で、”もしかしたら死んでいるのではないか”と、ドアを開けるのが怖い時もありました。

医師には症状からして「入院適用」と言われましたが、小児科病棟のベッドがなかなか空きません。起立性調節障害の患者が多いということでした。1月下旬にやっと順番が来て、6人部屋に入院となりました。1人を除いて同じ病気の少女たちでした。

入院中は見違えるような姿に

娘の入院中、私は2日に1回、洗濯物などを持って面会に行きました。驚くのが、昼間に起きている娘を見ることです。そして、全部ではなくても院内学級の授業に出て、病室では同年代の女の子とおしゃべりをし、院内のコンビニにおやつを買いに行ったりしているのです。家にいる時と比べると夢のような姿でした。

病院では、毎日水分を測って飲み、放課後はエアロバイクか階段で運動するのが少年少女達のミッションでした。こんな風に過ごしている娘を見て、親としては規定の1カ月と言わずずっと入院していて欲しいくらいでしたが、本人は帰りたがっていました。

他人とずっと一緒のスペースは緊張を強いられます。病室にはWi-Fi設備がないので、唯一持っていたiPodタッチでは通信ができず、自分が話したい人と繋がれない状態が耐えられなかったようです。ちなみに通信機器は、夜間はステーションに預けるシステムでした。

生活リズムを守れと言われても…

退院後は、家庭でも同様に生活リズムを保つように言われましたが、それは次第に崩れました。悪化したらまた入院だよと脅しても、本人にも思うようになりません。

ODっ子は、自律神経の交感神経と副交感神経が働く時間帯が通常とずれているので、夜12時にベッドに入っても眠くなりません。私たちの真昼のようなイメージで、深夜に元気全開です。それでも眠らなくてはと目をつぶって横になってはいるのですが、眠りに落ちるのは明け方頃でした。

昼間に活動をして疲れれば少しは眠れるかと思い、風呂掃除など家事をミッションにしたり、買い物や遊びに連れて行ったりしました。ただ出かけるにしても毎日というわけにもいきませんし、そもそも出かけて疲れたからといって簡単に眠れるほど甘くはないのが、自律神経系の病気の難しいところです。

学校へ行かないと決めたら平和になった我が家

登校を目標にすることが正しいのか

本人は折に触れて「学校へ行くのをいちばんにする」と決意表明をすることがありました。水分と塩分を意識して摂取し、運動代わりのお出かけも自主的にする。私も協力のつもりで声掛けをしたりアドバイスをしたりもしました。

ただ、何日か登校できても、授業はわからないし友人の話題にもついていけない。時々しか来ない子のことを理解できない人がいるのも仕方ないことですが、学校では「いろんなこと言われるんやで」と傷つくこともあるようでした。そうなるとモチベーションも上がらず決意も崩れ、私はがっかりする、ということの繰り返し。

起立性調節障害だけじゃなくさまざまな理由の不登校生は、登校させたらそれで完了ではありません。学校でどんな時間を過ごすのか、何のために行くのかそこまでを考えないと、登校を促すだけでは結局、長続きはしないでしょう。

登校しないなら「生きていく力」を

中2の後半のある日、娘は「しばらくは学校へ行かない」と宣言しました。もう長時間寝続けることはなくなっていましたが、変わらず朝は起きられません。何とか起きて登校しても、時間を持て余し気も滅入るのなら、行かないと決めるのもアリかなと思い、私は学校にそう伝えました。

登校しないと決めたことで、母娘ともに気持ちにゆとりが出て、家の中には平和が訪れました。私は、脳が働かず勉強もできないならば、娘に最低限の生きる力を付けさせようと、食事を作ったり窓の掃除をしたりする家庭内アルバイトを設定しました。

担任教師は時々プリント類を届けに来てくれて、1カ月に1回はじかに娘の顔を見る「生存確認」とやらをしていました。私は担任に、夜型でも娘なりに暮らしている様子などを話し伝えました。

クラスでの病名の公表について

今や、1~2クラスに1名はいるかもしれない起立性調節障害での不登校児。クラスメイトにその子がなぜ学校に来ないのかを教師は説明しているでしょうか。理解されにくい病気なので「なまけ」「ずるい」と言われる恐れもあります。

うちの子の中学校は、本人が希望しないならば「体調不良」と説明していました。2年時の担任は病気について一生懸命勉強してくれていたようで、「いつでもクラスで説明する準備はできています」と言ってくれてはいました。

そうこうしているうちに進級月が近づき、ODっ子達の心は「新学年デビュー」にざわつき始めます。娘も「4月から行くで」と備え始めました。

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