ドラマや映画になった「1リットルの涙」
30年以上前の本ですが、色あせない闘病記。
中学3年生(15歳)で不治の病に侵された少女・木藤亜也さんとその家族が過酷な運命と向き合い、生まれてきた意味を問いながら、闘った10年間がつづられています。
1986年(昭和61年)に出版されたこの本はすぐに話題となり、私は沢尻エリカ主演のTVドラマを毎週観ていました。
2007年(平成17年)に母親の潮香さんの手記が発行されると、2冊を買って読みました。
最近になって、フリマアプリに出す本はないかと本棚を整理していたらその2冊が出てきたので、開いてみました。
自分がまさに、中学3年生を含む2人の子育ての真っ最中。
我が家の場合、命の危険はないものの、即効の薬や治療法のない病気を抱える娘がいます。
一体この先どうなるのか・・・ただ見守るしかない私自身の価値も見出せずに、落ち込むことが多い中、励まされた本です。
心は健康なのに、身体が動かなくなる過酷な病
「1リットルの涙」の木藤亜也さんが15歳の時にかかった病気は、脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)。
身体の運動神経を支配している小脳・脊髄の病変によって、身体を動かす諸機能に障害が起きるようになります。
手足を動かしたり、食べたり飲みこんだりする機能が徐々に失われていき、最後には呼吸が停止するか、衰弱による合併症のために多くの場合死亡する、現在の医学でも、原因も治療法もまだ究明中の病気です。
知能は発病前と変わりなく健全に働いているので、次第に動かなくなる肉体に苦しめられることになります。
動けなくなっても、書く。
亜也さんは、「人の役に立つ仕事がしたい」という夢を持って高校へ入学しましたが、身体がだんだん動かなくなって養護学校へ転校。
卒業するころには大学進学どころか就職する場さえないほど障害が進み、やがて寝たきりとなり、食べることも話すことすらも難しくなっていきました。
読書と書くことが好きだった亜也さんに、お母さんはずっと日記をつけるよう勧めていました。
病気だから外に働きには出られないが、書くことはできる。それに手を動かすことは、機能喪失を少しでも遅らせることにもなる。
お母さんは亜也さんに、それでも自分にはやる仕事があるという希望と意欲を持ってほしくて、その日記を一緒に本にしようと約束しました。
手の機能が衰えて文字がほとんど読み取れないほど乱れてきても、亜也さんは毎日1度は必ずフェルトペンを握りしめていました。
どこでも書けるようにと、自宅の各部屋にペンとノート、病院ではベッドでも車いすでも使える特製の机が取り付けられていました。
わたしが生まれてきた「意味」
お母さんは、50冊になる亜也さんの日記を書き起こすことから始めました。
過去の日記に目を通すのは娘の苦しい日々の再現であり、悩み、苦しみ、もがいていた心情を思うと感情が高ぶり、書き写せない日が何日もあったと言います。
それでも本が発行されると、読者からの手紙が日に数十通、病室を訪ねてくる人も1日に4~5人、などと反響が大きく、病院のベッドに横たわり世間から隔絶されていた亜也さんに、社会の風が吹き込みました。
「わたしは何のために生きているの」…と問い続けた亜也さんに、人の役に立てていると感じられる日々が、訪れたのです。
25歳で永眠。
短く過酷な人生でしたが、亜也さんとその家族の生き様は、病気で苦しんでいる人や人生に悩んでいる人達に、とてもとても大きな勇気と希望を与えました。
うちの子も将来、病気の日々があったからこそ、自分だけの生きている意味を見つけられるのかもしれない、それならば私はわが子の運命を信じて、母として寄り添っていかなければ…そう思わせてくれる本です。
このシリーズには3冊目(平成18年初版)があり、亜也さんが1年間だけ通った高校時代の友人に書き続け、交流した手紙58通が掲載されています。
読む順番は、母親の潮香さんの「手記」から読むのがわかりやすいかと、個人的には思います。
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● 1リットルの涙「難病と闘い続ける少女 亜也の日記」 木藤亜也 幻冬舎文庫
● いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記 木藤潮香
● ラストレター「1リットルの涙」亜也の58通の手紙 木藤亜也
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